そうだ!人生をやり直そう

52歳からのチャレンジ

相談をするということ

 モラハラ夫に30年間苦しめられてきましたが、「相談する」という発想がありませんでした。今日、自治体の女性のための支援センターに電話しました。なかなかつながらず、苦しんでいる人がたくさんいるんだなと苦しくなりました。テキパキとした女性の方が電話口に出られ、証拠としてのメモを残すこと、記録を残していない過去のことは思い出した折に書き留めておくこと、そして離れること(離婚)を提案されました。「例えばどんなことを言われるんですか?」と聞かれました。その瞬間に頭が真っ白になりました。言葉が何も出てこないのです。しばらくの沈黙の後に「すみません、思い出せません」と言うと「忘れなければ生きていけない生活を続けてきたのですから、思い出せなくてもいいですよ」と言われました。またこのフレーズがわたしを救いました。わたしは頑張ってきた。必死に生きてきたんだと自分の事を顧みました。「しっかりと準備をして次の住まいを確保してから行動に移しましょう。身一つで出るのはこれからにつながりません。」これは身体の危険のないわたしの場合にはとても大切なことだと思いました。ケースバイケースです。状況によっては着の身着のまま逃げ出すことが正解の場合もあります。また経済的に困っているわたしのような者が法律的な相談をする際に利用できる「法テラス」を紹介されました。まずは市の支援機関に電話をすることを提案されました。知っている人に尋ねることがこんなに心強いものかと驚きました。少し心が軽くなりました。

わたしで良ければ

 モラハラ夫洗脳歴30年ですが、一度も心を病んだことがないのです。心を病んで現実が分からなくなる方がどれだけ幸せだろうと思うこともありますが、しっかりと現実を直視できるのです。次女が国境なき医師団のコマーシャルで夫に虐げられたインドの不幸な女性がシェルターで過ごしているという内容のものが流れるたびに、わたしとオーバーラップしてみることができないと言ってくれました。なんと優しい次女なのでしょう。

「ママにオファー来ないかしら。最高のコマーシャルが撮れるわよ」

こういうことを言ってカラカラと笑う性格です。

恐怖を感じる人間関係は異常

 いろんなことがあり過ぎたモラハラ夫との30年。モラハラの支配コントロールという洗脳が解け、さあこれからという日(昨日)倒れてしまいました。

 原因がよく分からないのですが、喉の血管が切れて出血することがあります。血管が破れて出血するのならまだいいのですが、わたしの場合、血管が破れず水風船状態になるのです。こうなると呼吸ができなくなり死ぬほど苦しくなます。喉に激しい異物感を感じ吐き気がしてきますので嘔気が抑えられないのです。たいていはこの嘔気で水(血)風船は破け、事なきを得るのですが、一度だけ破れず救急車で運ばれたことがありました。運ばれる途中、嘔気による破裂のため血を吐き病院についたときには呼吸は戻っていました。昨日はなかなかはじけず、倒れてしまいました。その姿を見た娘たちが救急車を呼ぼうとしましたが、大事にしたくないのと、夫は出勤していたので自宅にはいなかったのですが、何というか夫に弱い自分を知られたくないという咄嗟の思いでかたくなに拒みました。天の救いか、嘔気による破裂があり、その後、病院に行きました。

 何か新しいチャレンジをしようと意気揚々となると、トラブルが起きるのはわたしにはよくあるパターンです。それが不幸の前兆であったためしがないので、朝食でお茶碗が割れたとか、そういう類は完全なる迷信だと思っています。これからという時に前倒しで悪しきことが消化されるのだと思っています。

 年末に特大のモラハラを受け(このことについては改めて記録します)モラハラに関するYouTubeを見まくりました。その中で「人間関係を築く上で恐怖を感じるのは正常ではない」というフレーズで洗脳が解けました。たったこの一言で30年の硬直から解放されたのです。長い時間をかけてカウンセリングを受けたわけでも、我慢に我慢を強いてきた思いを誰かに吐露したわけでもなく、たったワンフレーズで完了しました。30年は長かったですが、もしこのきっかけがなければたぶん死ぬまで洗脳は続いていたと思います。

 お付き合いの期間を含め30数年間、夫に対して常に恐怖を感じびくびくとおびえて過ごしてきました。機嫌を損ねないようにいつも顔色をうかがい、主従関係を続けてきました。娘たちにもそのことを強いてきました。洗脳されていたので娘たちにも同じように夫の顔色をうかがい、夫優先の生活をさせてきました。それがおかしいなんて微塵も思っていませんでした。今となっては本当につらい思いをさせてしまったと後悔の念しかありません。

 私がここに記録を残すのは、私のような人の何かのヒントになればいいとの思いからです。家庭で起きることは見えません。どんなに苦しいことがあっても一歩外に出ると外の顔を取り繕うものです。不幸になるために家族になる人は一人もいません。「いつかはきっと」と願いながら頑張るものです。でもそれは相手によるのです。同じ方向を向いて進むことができないのであれば、それまでの事です。誰かを支配することでしか幸せを得られない人とは幸せを築くことはできません。いろんなことがありました。どこからどう記録していけばいいのか分からないので、思い出したことから残していきます。

 

わたしのことについて

 52歳のどこにでもいる気さくなおばちゃんです。結婚30年。夫からの精神的暴力を長年受けてきました。結婚前からその傾向はあったものの、結婚の話を断ることもできず、「結婚すればきっと優しい旦那さんになってくれるはず」というとてつもない勘違いをし結婚。案の定、壮絶なモラハラを受ける日々。苦節30年。22歳で結婚したわたしは白髪交じりの52歳になりました。そしてある出来事をきっかけに人生をやり直したいと思っています。もう、夫にびくびくする生活は送りたくないのです。本当は徐々にそして上手にフェイドアウトするつもりでしたが、突然の出来事過ぎることが起こり、夫に切れられました。いつもならおどおどびくびく、こびてへつらって夫の機嫌を取って穏便に済ませるわたしが、なぜか家出。結婚30年目にしての初めての抵抗。夫はそりゃぁびっくり仰天です。「出ていけー」と言っております。出ていきたいのはやまやまなのですが、私にはその経済力がないのです。どうしましょう…。家計を任されていたのですが、通帳を取り上げられ、1万円札を一枚渡されました。でも、何なんでしょう、「何とかなる」の気持ちでいっぱいなのです。今始まった人生のやり直し、わたし一人では心細いし、くじけそうなので、ここで実況しようと思ったのです。私がこれからどんな人生のやり直しをしていくのかを記録していきます。